「共通項」
突然、他人の身内の不幸を聞かされたらどう思うだろう。
それも、1,2年も前の不幸を。
たまたま預かり物を渡しに家を訪ね、たまたま当人が席を外していてしばらく待たされて。
当人は居合の稽古だかなんだかで居合着に袴、刀を携えた出で立ちで現れた。
当人──士朗は何時もの目線をニクスに投げ掛けるなり、何だお前か。抑揚の無い口調で呟いた。
「友達が来ていると言われたから、誰かと思えば…」
「悪かったな、俺で」
「悪いとは言っていないだろう。で、何の用だ?」
「…なんでそんな喧嘩腰なんだよ…」
待たされていた縁側に足を投げ出し、ニクスは士朗に一包みのパックを渡す。
「ナイアの店の新メニューだと。渡してくれって頼まれた」
「…有難う。今度礼を言いに行かんとな」
士朗もニクスの隣に庭を眺めるような格好で腰掛ける。
「…」
「……」
あまりにも不自然な沈黙が流れる。
雰囲気に耐えられず、士朗が一息の溜息の後、口を開いた。
「帰らんのか?」
「なんだよ、茶の一杯も出してくれないのか?」
「…俺と茶を飲んで楽しいか?」
「冗談だよ、ジョーダン」
ニクスはひらひらと手を振り、茶化すような仕草をする。
ふと士朗の方へ目をやり、先ほど会った時から気になっていた事を問いかけた。
「なぁ…お前のその傷、なんなんだ?」
士朗の居合着の袷から覗く、斜めに入った赤い傷跡。
見るとはなしに見えた気になるものへ対する純粋な問いかけだった。
士朗の表情に変化は無い。ただ、無言だった。
その無言の返事を、ニクスは自分なりに受け止めた。
「あ…ワリィ」
「いや、気にするな。そんな大したものではない」
士朗は刀の鞘を握り、ささやかな衣擦れの音をたてて立ち上がった。
やはり表情は変わらず、一点を見つめるように真っ直ぐ前を見据えている。
「…これは、俺のお爺様がつけた傷なんだ」
「じ…爺さんが?」
「お爺様が亡くなってから、1年…2年は経つかな」
今まで変わらなかった士朗の表情が、何かを懐かしむようなものへ変わった。
「稽古の時、それ以外の時でも…何時も俺に言っていた。『わしを越えてみろ』、『お前がわしを越える時を楽しみにしている』」
「越えるって…その、居合を?」
「お爺様は俺の居合の師匠だったから…」
「…」
「突然だった。何時もの通りに稽古を始めようとしたら、お爺様がいきなり今日は真剣で試合をすると言い出して…」
士朗は聞かれてもいない事をスルスルと話し出す。
「真剣で試合をするなんて初めてだった。物体と対峙している時とはまったく違う緊張感…
実際、その時の事はほとんど覚えてない。
とにかく必死で…無我夢中だった」
「……」
あまりに非現代的な話に少し唖然としたニクスだったが、改めて士朗の出で立ちとこの古風な建物や庭を見て一人納得した。
そういう事も、あるのかも知れない。
話を続ける士朗の表情は、嘘でも冗談でもなく真剣そのものだった。
「──気が付いたら、寝所で怪我を手当てされ寝かされていた。
後で聞いた話では、俺が放った必死の一撃をかわす為に、お爺様が本気になった一瞬だったとか…」
「…ふーん…でも、一瞬でも、その…越えた、ってヤツじゃないのか?それって」
未だ遠い目をしている士朗に何と声を掛けて良いのかわからず、ニクスは曖昧なフォローをした。
「他の皆も、口々にそう言うが─ …」
不意にニクスの耳元で、何かが軋むような音が聞こえた。
音の発信源が刀の鞘を握り締めていた士朗の手元だと気付くのにあまり時間はかからなかった。
力のかかった指の爪は驚くほど白く、余った力はカタカタと鯉口を鳴らしていた。
「──お爺様は、その数日後に床を離れられなくなり、そのまま──」
「─ …」
「俺がお爺様を越えられたのか…確かめる術は、もう無い」
失った目標。
越えられぬままそこに残された高い壁。
乗り越える為の手掛りも無く、見上げる事しか出来ない。
──同じだと思った。
「俺も…」
ニクスが口を開く。
「俺も、空軍のパイロットだった親父をいつか越えてやるんだと思ってたんだ」
「…」
「まだ俺もガキだったんだけどな。親父がなによりカッコ良く見えてた」
「……」
「でも、俺が入隊してしばらくして──飛行訓練中の事故だか何だかで、親父は…」
士朗はニクスの語りに口を挟む事無く、黙って聞き手にまわっていた。
──同じだと思ったから。
近づきたい、その横に並びたい、そしていつか越えていく。
その相手を失ってしまった。
それは、二人の共通項だった。
お互い口には出さないが、似ていると思った。
「…なんで突然、俺にそんな話を?」
士朗の何気ない質問。
「さぁ、わかんねー。…お前だってそうだろ?」
「そうだな」
思い通りの返事が返ってきて、微かに苦笑いする。
「なー士朗」
「何だ?」
「木刀ってあるだろ?持って来いよ。2本な」
「あるけど…何にするんだ?」
いつもの不敵な笑みを浮かべ、ニクスは答える。
「俺が、お前の壁になってやるよ」
「…は……ぁ?」
あまりにも唐突な彼の申し出に士朗は呆気に取られてしまう。
「いーから早く持って来いって…早くしないと後ろの障子破くぞ」
「子供かお前はッ?!…全く、仕方ないな」
縁側に寝そべって待つ事数十分、ぼんやりと空を眺めていると目の前に長いものが突き出された。
「望みの物。持ってきてやったぞ」
目を移すと、士朗が古びた木刀を両手に1本ずつ携え、片方の柄をニクスに向けて差し出している。
先ほど持っていた刀は置いてきた様だ。
ニクスは貫禄のある色と光沢を持つ、十二分に使い古された木刀を受け取り、軽く二、三度振り抜いてみる。
「…お前…方も何もあったもんじゃないな」
「うるせーな、剣なんて振れりゃ良いんだよ」
呆れ顔の士朗に適当に返しながら、軽い身のこなしで庭へ降り立つ。
「ほら、さっさとかかって来いよ」
「…切っ先で人を指すな」
ニクスのあまりに身勝手な行動に、士朗は呆れ返りながらも従ってしまう。
木刀を構えたニクスと士朗が対峙する。
切っ先を軽く当てながら、お互い探る様に牽制し合う。
「手ェ抜くなよ。空軍パイロットが操縦の訓練しかしないと思ってんなら大間違いだからな」
「──わかった」
答えながら士朗の心は、久し振りの生身の人間との試合に無意識の内に躍っていた。
物体相手には出来ない、精神と精神の駆け引き、ぶつかり合い、騙し合い。
ニクスからの真っ直ぐな目線は、明らかに素人のものとは違っていた。
「…成程…」
全くの素人では無さそうだ。
士朗はすぅっと目を細め集中する──瞬間。
ニクスの木刀を下から撥ね上げ、一気に懐まで踏み込んだ。
「ッ──!」
一度脇へ収めた木刀をニクスに向かって振り抜く。
それで試合は終わるはずだった。
「──手ェ抜くなって…」
士朗の視界からニクスが消えた。
「!」
「言ったろッ!」
次の瞬間、士朗は足に薙ぎ払う衝撃を受け、そのまま転倒する。
辛うじて受身は取れたものの、体制を立て直す間も無く首筋に冷たく長いものが突き付けられた。
見上げれば、ニクスが満面の笑みで士朗を見下ろしていた。
「俺の勝ちー」
「何が勝ちだ!居合の試合で足払いかますヤツがいるかッ!」
「誰がいつその居なんちゃらの試合するなんて言ったよ?」
確かにそうだ。士朗に反論の余地は無かった。
「…俺は、嵌められたのか…」
「さぁ?──ほら、立てよ」
差し出された補助の手を断り、士朗は自力で立ちあがる。
「──わかっていれば注意した。もう一戦勝負しろ」
「あれ?もしかしてシローちゃん、本気になってる?」
「!……ちゃん付けで呼ぶな」
「うっわー、シロート相手に大人げねー!」
「お前…さっきと言ってる事滅茶苦茶じゃないか!」
「嘘じゃねーよ、居合なんてのやった事ねーもん」
「………」
やはり、士朗は反論出来なかった。
「…とにかく。もう一戦だ。今度は負けない」
「あーッと、バイトの時間だ。残念だなー」
唐突にわざとらしい声を上げ、ニクスは士朗に木刀を突っ返した。
「貴様ッ…逃げるのか?!」
「バイト遅れてクビになったら、シロークン責任とってくれマスカー?」
「………」
嫌らしい程に大仰な態度で脅迫するニクスに、士朗は黙るしかなくなってしまった。
「じゃーな。また今度」
「……あぁ」
「…士朗」
「…何だ」
帰る為に玄関へ行きかけたニクスは、士朗に背を向けたまま続ける。
「有難う」
「え…?」
思いもかけない言葉に、士朗は手に持った木刀を落としそうになってしまう。
肩越しに振り向き、ニクスは微かに笑って言った。
「俺も、守る場所が出来た」
「…そうか」
彼の言葉の意味を察し、士朗も答える。
「──俺にも、越えるべき壁が出来た」
それは二人にとって、もう一つの共通項になった。